京都喫茶文化遺産

喫茶文化遺産とは。

京都の街には脈々と続く伝統や工芸とはまた違う、市井の人々の文化交流の場として広く親しまれた喫茶店が多数存在しますが、そんな喫茶店が今、大きな岐路に立たされています。

経営者の高齢化や外資系カフェの進出で売上げ低下による経営難などの現状に対して、新しい戦略を経営に取り入れる事への資金投入が難しいうえに、体力的な問題など、喫茶店を取り巻く様々な問題の前に、歴史的にも重要な店がなす術もなくいつの間にか消滅し続けています。

このような状況の中「京都喫茶文化遺産チーム」は上記の様な「街に残していきたい喫茶店」を守り、受け継いで行く為に結成された団体です。

経営者の方とコミニュケーションを重ねながら、経営の引き継ぎや後継者の育成や派遣、それによって生まれる経営者への家賃収入や機材の買取等での体力面や精神面、資金面での支援をする事により、私達が過ごし癒されてきた喫茶店文化を保存し、今後も若い世代へバトンを渡し繋げて行く。
決してレトロ喫茶等ではない「昔から続く伝統のある街の喫茶店」を残し、続けて行きたい。
そう言う想いの元で活動しています。
中には「経験の少ない若い人に今までやってきた事をそう簡単に任せられない。」と言われる経営者の方もいらっしゃいます。
その方にも納得して店を任せてもらえる様、我々も様々な飲食店で修行を積み、しっかりとした考えを持つ者を選定し今後へと繋げて行く努力をする。
我々の代で終わっては意味がありません。
また次の代へ繋がる様、日々続けて行くのです。

喫茶マドラグ開店のいきさつ

「マドラグ」とは私の妻が好きだったフランスの女優「ブリジットバルドー」が、南フランスのサン-トロペに所有していた別荘の名前から名付けました。
バルドーは都会での暮らしや撮影で疲れた時、よく「マドラグへ帰りたい。」と言っていたそうです。
私達も人々にそんな風に思ってもらえる店にしたいと思いこの名前にしました。
そして喫茶マドラグは以前『喫茶セブン』と言う昭和38年から約50年続いた街の名店でした。
珈琲が濃くてとても美味しくて。
マスターが優しい人で。
常連さんに愛される喫茶の鏡の様な店でした。
ですが残念ながら2011年にマスターは他界され、店は半年程そのままの状態で眠っていました。
私はその時期、京町屋や古い商店街や地域の再生を含めたカフェで支配人をしていたのですが、自分には「管理職も良いけどやっぱり現場仕事だね!」と考えており独立を考えていました。
そして妻と二人で物件を探していた時、セブンのマスターの息子さんと様々な御縁で巡り会い、店を残しながら新しく商売をしてくれる人を探されているとの話に激しく共感し、その年の9月に「喫茶マドラグ」として開店する事になりました。

秘伝のコロナサンド

オープン当初は、セブン時代からの常連さんに昔の話を聞いたり珈琲の味がどうだったか聞きながら日々少しずつ味や店のあり方や、夫婦で店を経営する上で、お互いの仕事のやり方など毎日調整と変化を繰り返しながらあっという間に時間が過ぎて行きました。

そして約一年が過ぎ、ようやく新しい常連客も増えて来た時に、京都で活動されているフリーペーパー「音読」さんから「喫茶セブンを継いでいるマドラグに最近閉店された洋食店コロナの名物だった玉子サンドイッチを継いで欲しい。」とのお話がありました。
私は昔、コロナの近所にある喫茶フランソアと言う店でアルバイトをしていて休憩時間によく食べに行っていたのと、何より面白そうなお話だったので快諾しました。
その後コロナのマスターにマドラグまでお越し頂き直接レクチャーを受け、お陰様で昔食べた味を目しっかりと思い出す事が出来ました。
その後は雑誌やテレビの影響もあり連日沢山の新規のお客さんが来てくれる様になりました。

しかし、ただ一つ問題が…。

記憶と味覚

玉子サンドを食べたお客さんが「昔のコロナサンドはもっと柔らかかった」や「もっと大きかった」等の意見を聞くようになり、私はマスターの教え通りやっていたんですが、その時に「皆さんの記憶の中で少しずつ玉子サンドを食べた印象が美化されているんだな」と思い、それから自分なりの改良を始めました。
先ずはパン、卵、調味料の見直し。
焼き時間と火加減。
挟む時の手の圧力。
切り方と盛り込み等。
基本は崩さず手直しし今の形になりました。それからはお客さんから「懐かしい」や「これを食べたかった」と言われるまでになりました。

マドラグ店主 山崎三四郎裕崇